http://berlinaleshorts.wordpress.com/2013/02/15/the-silent-passenger/
以下、Maria Morataさんと、Scottくんのドイツ語パートの翻訳です。
翻訳は林立騎さんがしてくれました。
Andreaさんの翻訳は、近々また載せたいと思います。
わたしはどこにいるのだろう。ここにあるこれはなんだろう。そうした問いを、ヤドカリ、カエル、小さなトカゲ、そしてその他の美しくまた繊細な水生動物たちは自分自身に問うているのかもしれない。彼らは突然、ひとけのない、無菌的なホテルの一室に移され、映画監督の愛に満ちた、だが容赦ないキャメラ・アイで観察されている。
仲本拡史は映画の冒頭、車でわたしたちを日本の沖縄島へと連れて行く。浜辺にキャメラを据え、彼は木や茂みの下に貴重な生物を探す自分自身を映す。次のカットはベッドの上に丸まった白い掛け布団である。わたしたちは沖縄島の自然と対照的な、人間によってしつらえられた室内空間に連れ込まれている。掛け布団がもぞもぞ動き、小さなヤドカリたちが無秩序に這い出てくる。そしてシミひとつないシーツの上でさまざまなベクトルを描く。観客はこの軟体動物への気持ち悪さと説明しがたい愛のあいだで瞬時に決断を迫られる。いずれにせよ観客は、場所を移されどうすることもできないこの動物たちの現実に向き合わされる。動物たちは場所ならぬ場所「ホテル」の中を動きまわる。
別の種類のヤドカリがあらわれ、冷たいホテルの一室をさらに探索する。かれらの視線の高さで並走するキャメラ自体が、好奇心旺盛な動物たちの調査対象になる。絨毯、コンセント、ケーブル、灰皿、テレビ、それらがかれらのサバイバル・ダンスの舞台と化し、自然のはかない美の劇場と化す。
その後も仲本は繰り返し車で島へ向かい、あらたな、予想もしない動物をホテルの部屋に連れてくる。そして脱文脈化という彼の美的操作を続ける。最小限の構成と明快な構造がクライマックスを迎えるのは、動物たちを観察するキャメラと監督自身が鏡に映り、自分自身がつくった筋書きの中にいる場違いな俳優たちと化すときである。『無言の乗客 / The Silent Passenger』はきわめて繊細な、知的な、そして映像として有効な方法で、人間と自然の古典的二元論を考察し、それに疑問を突きつけている。
マリア・モラータ(Maria Morata)
ドライブ、数百匹のヤドカリ、そしてカエルやチョウやトカゲなどの動物、その共通点はなにか?
それらはみな、第63回ベルリン映画祭で上映される今年もっとも興味深い短編映画のひとつで重要な役割を果たしている。
『無言の乗客 / The Silent Passenger』は日本の映画監督・仲本拡史の傑作であり、第63回ベルリン映画祭でもっとも心を動かす短編映画のひとつである。
仲本は確信をもって作品をつくっているにちがいない。というのも彼は、少ない手段でメッセージを伝える方法をよく知っている。それができる映画監督は多くない。基本的に筋はない、少なくとも行動する人間たちの筋書きはない。だがこの映画はわたし個人に非常に強く訴えかけるものがあった。捕らえられ、逃げられないのである!
この映画が観客にもたらす感情をわたしは言葉にできない。仲本の脳内をのぞくことができたら、きっと気の狂った、言葉にできないものごとに満ちあふれた旅ができるだろう。だがそれは仲本自身の気が狂っているというわけではないのだ。あるいはしかし、今日では気が狂ってない者などいないのだろうか。
仲本拡史の『無言の乗客 / The Silent Passenger』は非常に心を動かす、興味深い映画である。この映画をぜひ観てほしい! たとえ彼が今はまだスコセッシやスピルバーグほど有名ではなくとも…
スコット、14歳
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