Press

Berlinale shorts

(05/02/2013)
http://berlinaleshorts.wordpress.com/2013/02/15/the-silent-passenger/

わたしはどこにいるのだろう。ここにあるこれはなんだろう。そうした問いを、ヤドカリ、カエル、小さなトカゲ、そしてその他の美しくまた繊細な水生動物たちは自分自身に問うているのかもしれない。彼らは突然、ひとけのない、無菌的なホテルの一室に移され、映画監督の愛に満ちた、だが容赦ないキャメラ・アイで観察されている。
仲本拡史は映画の冒頭、車でわたしたちを日本の沖縄島へと連れて行く。浜辺にキャメラを据え、彼は木や茂みの下に貴重な生物を探す自分自身を映す。次のカットはベッドの上に丸まった白い掛け布団である。わたしたちは沖縄島の自然と対照的な、人間によってしつらえられた室内空間に連れ込まれている。掛け布団がもぞもぞ動き、小さなヤドカリたちが無秩序に這い出てくる。そしてシミひとつないシーツの上でさまざまなベクトルを描く。観客はこの軟体動物への気持ち悪さと説明しがたい愛のあいだで瞬時に決断を迫られる。いずれにせよ観客は、場所を移されどうすることもできないこの動物たちの現実に向き合わされる。動物たちは場所ならぬ場所「ホテル」の中を動きまわる。
別の種類のヤドカリがあらわれ、冷たいホテルの一室をさらに探索する。かれらの視線の高さで並走するキャメラ自体が、好奇心旺盛な動物たちの調査対象になる。絨毯、コンセント、ケーブル、灰皿、テレビ、それらがかれらのサバイバル・ダンスの舞台と化し、自然のはかない美の劇場と化す。
その後も仲本は繰り返し車で島へ向かい、あらたな、予想もしない動物をホテルの部屋に連れてくる。そして脱文脈化という彼の美的操作を続ける。最小限の構成と明快な構造がクライマックスを迎えるのは、動物たちを観察するキャメラと監督自身が鏡に映り、自分自身がつくった筋書きの中にいる場違いな俳優たちと化すときである。『無言の乗客 / The Silent Passenger』はきわめて繊細な、知的な、そして映像として有効な方法で、人間と自然の古典的二元論を考察し、それに疑問を突きつけている。
マリア・モラータ(Maria Morata)

ドライブ、数百匹のヤドカリ、そしてカエルやチョウやトカゲなどの動物、その共通点はなにか?
それらはみな、第63回ベルリン映画祭で上映される今年もっとも興味深い短編映画のひとつで重要な役割を果たしている。
『無言の乗客 / The Silent Passenger』は日本の映画監督・仲本拡史の傑作であり、第63回ベルリン映画祭でもっとも心を動かす短編映画のひとつである。
仲本は確信をもって作品をつくっているにちがいない。というのも彼は、少ない手段でメッセージを伝える方法をよく知っている。それができる映画監督は多くない。基本的に筋はない、少なくとも行動する人間たちの筋書きはない。だがこの映画はわたし個人に非常に強く訴えかけるものがあった。捕らえられ、逃げられないのである!
この映画が観客にもたらす感情をわたしは言葉にできない。仲本の脳内をのぞくことができたら、きっと気の狂った、言葉にできないものごとに満ちあふれた旅ができるだろう。だがそれは仲本自身の気が狂っているというわけではないのだ。あるいはしかし、今日では気が狂ってない者などいないのだろうか。
仲本拡史の『無言の乗客 / The Silent Passenger』は非常に心を動かす、興味深い映画である。この映画をぜひ観てほしい! たとえ彼が今はまだスコセッシやスピルバーグほど有名ではなくとも…
スコット、14歳

(翻訳:林立騎)


ZEIT ONLINE

(14/02/2013)

甲殻類に自由を!

大言壮語は短編映画のレパートリーに含まれない。それは昔も今も変わらないことだ(初期のアニメーションやどたばた喜劇映画は無声だった)。映像作家はまるで、言葉が画像を邪魔することを恐れているように見える。殆どの短編映画では、音声が画像を強調する役割しか果たしていない。甲殻類の映画のサウンドトラックも、ヤドカリががたがた立てる音からだけ成立する。仲本は上映後のトークで、それは、ヤドカリの特徴であると話していた。ヤドカリの自由を得ようとする努力を聞こえるようにするために、感度の非常によいマイクを使ったそうだ。

ヤドカリが逃走しようとするころを観察するのは、重苦しい。ところが、同時に楽しくもある。その観察はサディズムに近いかもしれない。そして間違いなく、盗撮のような行為だ。動物が撮影してくれるように頼んだはずはないからだ。仲本も短編映像作家がよく行うことを行っている。普段の見慣れた、型どおりのイメージを裏切る。この場合、彼は視聴者の馴染みの「人間的」次元を拒む。我々は普段、自分達しか見ない、自分達しか撮影しない。ホテルに持ち込まれたヤドカリたちはその視点を変える。


(翻訳:Ulrike Krautheim)

Short Talks PURE - Joung Yumi / Hirofumi Nakamoto

from Daniel Pook
https://vimeo.com/66575925

Berlinale Short Talks 2013

from Daniel Pook
https://vimeo.com/85539932


GEONALE del POPOLO

(04/05/2014)
http://www.gdp.ch/cultura/cinema/festival-concluso-vision-reel-nyon-id23154.html


INDIPENDENCIA

(13/05/2014)
http://www.bottegazero.com/independencia216/spip.php?page=article-impression&id_article=921

IR Planet, Hirofumi Nakamoto - Japon - 2014 - 10’ - Compétition internationale courts-métrages

6.2

Un documentaire expérimental où le cinéaste, enfermé dans sa chambre d’hôtel et muni de sa seule caméra infrarouge, cohabite avec des crabes. Les premières séquences sont belles, on se croit dans un petit jeu vidéo à la première personne (FPS, first-person shooter). La main du réalisateur surgit au premier plan et tâtonne dans l’obscurité, en un geste qui malgré sa modestie, inaugure la volonté de découvrir un horizon infini, que les pixels renouvelleraient sans cesse, et dont l’ambition ne trouverait comme obstacle que ce qui n’est pas à portée de main. Mais le trouble surgit à la vue du genre de zoologie que développe le film : il s’invente une série de clôtures dans lesquelles il enferme quelques crabes qu’il observe se casser la gueule depuis une étagère. De quelques bribes de science-fiction dans son scénario, le réalisateur ne retient que l’idée que sa chambre est un laboratoire d’expérimentations sur des petites bêtes, et restreint la carte de son film aux dimensions d’un Mario primitif.

ホテルの部屋に赤外線カメラだけを持って閉じこもった作者が、カニと同居する実験的なドキュメンタリー。最初のシークエンスは美しく、ちょっとしたFPS(ファーストパーソン・シューティング)の中にいるような錯覚を覚える。監督の手が前景に現れ、暗闇の中で手探りするその仕草は、控えめながらも、ピクセルが絶えず更新し、その野心が手の届かない障害としてのみ見出す、無限の地平線を発見したいという願望を初めとするものだ。しかし、この映画が展開する動物学のようなものには問題が生じる。棚から頭をぶつけるのを観察している数匹のカニを囲う柵をいくつも発明するのである。脚本にあるわずかなSFの部分から、監督は自分の部屋が小動物の実験室であるというアイデアだけを残し、映画の地図を原始的なマリオの大きさに限定している。

光州日報

(2014/5/26)
http://www.gwangnam.co.kr/read.php3?aid=1401090917188984029


Senses of Cinema

Between Chez Papy’s and Donut Time: The 6th La Roche-Sur-Yon International Film Festival
(2015/12)
http://www.sensesofcinema.com/2015/festival-reports/between-chez-papys-and-donut-time-the-6th-la-roche-sur-yon-international-film-festival/?fbclid=IwAR0uw3jmBLlBvggZTFZKN5kktjzeUovVUyj1b1-ap0JJDAaHswgLn6z2ldM

ラ・ロッシュの映画祭で最も意外な発見は、コンペティションの外に潜んでいた。2つの小さな作品がそれぞれ、映画の本質についてさらに広い問いを投げかけることに成功したのだ。ひとつは、パリを拠点に日本の次世代の映像作家やアーティストを支援する制作・配給会社、CaRTe bLaNCheに焦点をあてたものだ。煌めく抽象的なフォルムとシュールな物語、その多くがアニメーションで構成された3つのプログラムの中で、まだ20代の監督による2つの控えめな短編が、最も珍しい境界を押し広げていた。仲本拡史による『IR PLANET』(2014)と『Silent Passengers』(2012)である。どちらも、野生動物(前者はカニだけ、後者はカニ、カエル、ヒトデ、ナナフシ)を集めてホテルの一室に置き、その様子を記録するカメラを近くに置いておくという、同じ、見かけ上は単純なアイデアのバリエーションである。動物たちの存在が、見慣れた空間や物を奇妙に異質なものにし、その中に置かれた動物たちが異物と化していく、動物ドキュメンタリーとSFとホラーの中間のような非現実の運動が展開される。『Silent Passengers』は、動物たちの飛び跳ねや小走りを、彼らが住む島の様々なショットで補強している。そこに行くために渡る橋、車のダッシュボードを飛び交う蝶、道端で網にかかるカエルなど。この島のカニは驚くほどリアルで、映画の最初の10分間は、古いB級映画のようにカメラを食い入るように見てしまう、精巧に作られたアニマトロニクスではないのかと疑ってしまうほどである。『IR PLANET』は、沼地からバケツでカニを採取し、真っ暗なホテルの部屋で暗視カメラを使って調査する。窓際や浴槽で光るその姿は、別の惑星からの巨大な侵入者、眠っている都市を食い尽くそうと待ち受ける小さな軍隊のように見えてくる。



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